2008年04月01日
ドゥルーズ派の起源
意外と知らない真実。
このようなことが起こっていたようです。
ドゥルーズ派の起源は、10世紀にシーア派多数派のイマーム派から分離して生まれたイスマーイール派である。11世紀にイスマーイール派の多数派はエジプトを支配するファーティマ朝を建国し、イマームがそのカリフを称した。ファーティマ朝のもとでのイスマーイール派の教説の展開の中で、同世紀末に即位した第6代カリフ、ハーキムの治世に彼を神格化するグループがあらわれ、事実上ファーティマ朝の主流派から分派した。
1021年、ハーキムが失踪すると、イスマーイール派の従来の教義を堅持する派の巻き返しが起こり、ハーキムを神格化する派は弾圧を受け、エジプトを追われてシリア地方の山岳地帯に布教の場を見出した。彼らはグノーシス主義の影響を受けたとみられる独自の教理を発展させ、他のムスリムから厳しく異端視されるようになっていった。
ドゥルーズ派はレバノン山地などの山岳地帯でジュンブラート家、アルスラーン家などいくつかの有力家系を指導者として結束し、少数派でありながらオスマン帝国時代から近代にかけてレバノン・シリアの政治の表舞台にたって活動した。19世紀前半にはレバノン山地北部に共同体を形成するキリスト教徒のマロン派と激しく対立し、カトリックに近いマロン派にはフランスが後援者としてついた関係から、イギリスがドゥルーズ派を支援するという国際紛争にまで発展、とくに1860年には激しい紛争を起こした。オスマン帝国解体後の1925年にはシリア地方を統治するフランスに対する反乱を起こし、シリア地方全域を巻き込む反仏闘争のきっかけをつくっている。
第二次世界大戦後はジュンブラート家のカマール・ジュンブラートとワリード・ジュンブラートの父子が世俗主義を掲げる進歩社会党を結成、国家の世俗化による権利向上を目指したドゥルーズ派の運動の指導者となり政府の要職を歴任、1975年から始まるレバノン内戦でも大きな役割を果たした。
教義
ドゥルーズ派の教理は、イスマーイール派やイスラム神秘主義(スーフィズム)に加え、グノーシス主義や新プラトン主義の影響を受けたと考えられている。
ドゥルーズの名は、ハーキムの寵臣だった中央アジア出身のイスマーイール派教宣員ダラズィーに由来しているとするのが定説である。ただしこれは他称で、ドゥルーズ派の人々は「ムワッヒドゥーン(唯一神の信徒)」「アフル・アル=タウヒード(唯一神の民)」と自称する。
ダラズィーはハーキムを神格化する教理を説いて広め、ドゥルーズ派の成立に大きな影響を与えたが、のちのドゥルーズ派の教義においてはナシュタキーンと称されるダラズィーは異端とみなされている。これは、ハーキム存命中の1019年に暴動により殺害され、ハーキム神格化グループの中の反ダラズィー派指導者であるハムザ・イブン=アリーの率いるグループがドゥルーズ派に繋がっていったという事情が反映していると考えられる。ハムザはダラズィーの死去からハーキムの晩年にハーキム神格化の教宣運動を組織化するのに大いに活躍したが、ハーキム失踪後の神格化派の弾圧の最中に失踪した。ドゥルーズ派では、ハムザをダラズィーに次ぐ存在として尊崇している。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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