2010年5月12日
日本の讃美歌
日本にプロテスタント宣教師が渡来したのは、1859年であった。1872年横浜で開かれた第1回宣教師大会の時に、ジェームス・バラが讃美歌の翻訳案を提示したのが最初の神戸市 デリヘル 出勤速報プロテスタント讃美歌であるといわれる。
1874年に、組合は、長老派、バプテスト派、メソジスト派などから、8種の歌集が出版された。
1903年に、別所梅之助らが、各派共通の讃美歌を出版した。
大正時代の半ばから、讃美歌の改訂の要望が起きて、1931年に別所梅之助らが改訂を行い。讃美歌の改訂版が出版された。
戦後になって、由木康らが中心になって、日本基督教団讃美歌委員会による『讃美歌』(1954年から、刊行中)が出版された。
中田羽後が編纂・翻訳して『聖歌』(1958年から2001年まで発行されていた、日本福音連盟/いのちのことば社)がよく使われていた。
1997年、日本基督教団讃美歌委員会による「讃美歌21」(日本基督教団出版局)が出版された。日本教会音楽研究会・和田健治の編著による「聖歌(総合版)」(聖歌の友社)、日本福音連盟の新聖歌編集委員会により編集された「新聖歌」(教文館)なども刊行されている。
モーセが紅海を渡ったあとでエジプト軍が波に飲まれるのを見たとき、モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。(出エジプト記15:1a 聖書:新共同訳)とあるのが聖書における最初の記事である。詩篇は「歌った」「歌う」と書いてあるので、これらはその時代の賛美歌の歌詞であると考えることができる。(特に、「セラ」は間奏であると考える学者もいる。)
新約聖書では、最後の晩餐のあと、一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。(マタイによる福音書26:30 聖書:新共同訳) 等の記事が見られる。
パウロは新約聖書時代の当時歌われた歌を「詩と賛美と霊の歌」という三種類に分類している。教会音楽史家エドワード・ディキンスンは「詩」を詩篇、「賛美」を詩篇以外の旧約の歌、「霊の歌」を初代教会の信徒のよる創作賛美歌としている。初代教会では、旧約聖書の歌を受け継ぎながらも、古い歌では表現しきれない信仰体験を著すための賛美歌を創作していたと思われる。
このように、歌を以て礼拝する伝統は聖書の時代からキリスト教教会に存在していた。ただし、狭義の賛美歌の歴史は中世末期頃に始まる。
初代教会より、手拍子や打楽器等を用いて民衆的讃美が礼拝に持ち込まれることが慣例化していた。そのため礼拝の公同性を維持するために367年に、ラオデキヤの宗教会議で礼拝で打楽器の使用と会衆が歌唱に参加することを禁止した。その後教会音楽は、宗教改革まで聖歌隊が独占するようになった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
日本の讃美歌の歴史についてもっと詳しく知りたいです。
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